戦国時代の衣装についての新発見!
―歴史再現はここが違った?
信長の服が語る知られざるディテール

もしかすると、非常に詳しい方の中にはすでに気づいていた人もいるかも知れないので、「新発見」というのは少々大げさかもしれませんが……

戦国時代の衣装に「肩衣(かたぎぬ)」というものがあります。
織田信長の肖像画にも描かれている、肩がピンと張ったあの特徴的な装束です。武士たちが着用した衣服で、絵画史料を見ても、肩衣を着た武士の姿は数多く見られます。
ざっくり言えば、肩衣はジャケット、袴はパンツ、そして中に着る小袖(こそで)はシャツ。そんなイメージでしょうか。
ちなみにこの小袖は、現代の着物の原型にもなっています。

戦国時代の肩衣

▲ 織田信長の肖像に見られる肩衣

さて、現在の歴史再現の「常識」では、「肩衣には衽(おくみ)がない」とされています。
衽(おくみ)とは、着物の前身頃に縫い付けられる細長い布のことで、前合わせを構成する重要な部分です。
そして現代では、肩衣に衽は付かないものとして再現され、広くそう信じられています。つまり、「肩衣=衽なし」というイメージが、あたかも普遍の事実であるかのように定着してきたのです。

肩衣の構造図

▲ 黄色の部分が衽

肩衣の構造図

▲ 肩衣には「衽はない」とされてきた

ところが──

信長の肖像画をじっと見てみると、どう見ても「衽」にしか見えない線が、前身頃にしっかりと描かれているのです。
これは絵師の想像による描き間違いなのでしょうか? それとも、実際に肩衣に衽があったのでしょうか?

この謎を追う中で、重要な手がかりに出会いました。
戦国時代の実物の肩衣が残っていないか調べていたところ、室町幕府最後の将軍・足利義昭が着ていたと伝わる肩衣が、広島県の常国寺に現存していることが分かったのです。 ( 福山市HP 足利義昭胴肩衣 参照)

この肩衣を見ると──なんと、そこにははっきりと衽が付いていたのです。

足利義昭の肩衣

▲ 足利義昭の肩衣には「衽」があった

つまり、「肩衣に衽はない」という現代の常識の方が、実は誤っていたということになります。
信長の肖像に描かれたあの線は、画家の想像などではなく、当時の実際の服装を正確に反映していた可能性が高いのです。

歴史映像や時代考証の世界では、「これが常識」とされていることが、実は「当時の常識」ではなく、「近代以降に形成された後付けの常識」であることが少なくありません。
今回の肩衣の衽も、まさにそのひとつです。

ほんの小さな差異かもしれません。しかし、こうした「実際の歴史」と「現代の常識」とのズレに気づいたとき――それは、歴史が“常識”を裏切る瞬間を目撃することになります。
そんな発見の一瞬に、歴史の面白さが詰まっているのです。

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